新宅の児玉邸は明治26年から43年まで17年かけて、当時の当主・児玉彦助の隠居用に建てられたものですが、完成後は彦助の娘夫婦も一緒に暮らしていました。特に養蚕には大きく取り組んでいました。通常、蚕(かいこ)は母屋の2階で飼いますが、この家では2階にある27畳の2部屋に加え、母屋の裏に単体の蚕室(さんしつ)を建て、6回中3回の脱皮を終えて大きくなり寒さに強くなった蚕を、母屋の2階から裏の蚕室までロープウェイで渡していたそうです。
母屋から蚕室を臨む 単体の蚕室は珍しいそうですが、この蚕室にはベランダがついています。ベランダのある蚕室は、群馬県の富岡製糸場のあたりに多いそうです。ベランダを支える柱は頬杖(ほおづえ)と呼ばれ、ゆるくカーブした自然木を使うため、1本1本の形がそれぞれ違います。
蚕室2階から見た母屋 ロープウェイで渡す時、カゴから蚕が落ちると池の鯉が喜んで食べたそうで、その鯉を鯉こくにして食べるという食物連鎖があったそうです(^O^) 母屋1階のお茶の間には、明治神宮の鳥居の端材(はざい)で作った大きな座卓があります。
大正9年の同神宮創建時に、台湾ヒノキを用いて鳥居は作られたそうですが、端材で座卓を作るというビジネスを考える人が当時からいたんですね。そして奥座敷には、上田藩主が仙石氏から松平氏に代わった際に、松平氏が地元の有力者に配ったとされる碁盤と碁石が、置いてあります。
江戸琳派の酒井抱一の工房で描かれた12ヶ月の屏風絵もあります。母屋には2ヵ所の隠し通路もあります。米騒動のころに作られた建物なので、そうとう用心して暮らしていたようです。土蔵2階に保存されている襖絵 敷地内には2階建の土蔵もあります。
現在の東御市和(かのう)地区の元となった、明治期に6つの村が合併してできた和村。当時、それぞれの村にあった神社が和神社1つに合祀(ごうし)されました。児玉家の近くにあった熊野神社も取り壊されたのですが、併設の歌舞伎舞台で使っていた襖絵が土蔵の2階で保存されています。
カフェのお野菜たっぷりのランチ 現在この家には俊一と恵仁(えに)夫婦、その次男の寧(ねい)とドイツから来たアニー(本名アネマリー)、そして寧たちの娘2人の3世代6人が暮らしています。日曜日、月曜日は寧とアニー夫婦が敷地内の建物をDIYで改装した「児玉家住宅カフェ」を営業しています。
カフェで出す無農薬のお米や野菜、山菜を使ったワンプレートランチは寧が作り、ドイツ風のケーキはアニーが焼いています。建物内ツアーで碁盤を紹介する児玉俊一さん 児玉家住宅カフェの営業日である日曜と月曜の午後1時半から3時半まで、2時間かけて次期当主がご案内する建物内ツアーも実施しています。
日曜月曜のカフェ営業を休むこともあるので、事前にお問い合わせいただけると幸いです。
【児玉家住宅】 長野県東御市和7785 Mail:TheKodamaFamily@gmail.com TEL:0268-62-0393(受付時間:10時~20時)